池田小学校 校章
天明 8年(1788年) 池田町学問所開設される。初代校長 杉山亮蔵(巣雲)
天保10年(1839年) 横内重三郎が開いた上町の塾と合して1塾とする。
安政 3年(1856年)上町の大火で塾舎を消失する。
安政 4年(1857年) 池田学問所の塾舎を再築し旧に復する。
明治 5年(1872年) 池田町に郷学が置かれる。
元大庄屋会所が池田上学校、旧学問所が池田下学校と
なる。
明治 7年6月 池田上学校・下学校を統合し池田学校とする。
明治 7年7月 池田学校開校式を行う。花見・相道寺・半在家と連合。
明治19年 北安曇郡第10番小学区尋常小学池田学校となり、堀ノ内
学校と統合する。
明治22年 高等科は林泉寺跡に残り、尋常科は豊町南端へ校舎を
新築して移転する。 池田尋常小学校と改称する。
明治25年 池田尋常高等小学校となる。
明治27年 校舎を増築して、高等科も豊町校舎に移転する。
明治31年1月 池田会染尋常小学校と改称される。
明治35年4月 会染と分離し、池田尋常高等小学校と改称する。
明治41年5月 現在地に新校舎完成。
昭和 6年6月 南校舎を増築する。
昭和16年4月 池田国民学校と改称される。
昭和22年4月 六・三制により池田小学校と改称される。
昭和22年11月 粉ミルク給食が実施される。
昭和23年4月 池田小学校PTAが発足する。
昭和28年4月 高瀬中学校校舎を移転し独立する。
昭和30年6月 完全給食が始まる。
昭和30年7月 講堂の落成式を行う。
昭和33年1月 教室・職員室を新校舎に引っ越す。
昭和33年4月 校章制定。陸郷児童の受け入れ式を行う。
昭和39年3月 校歌発表会が行われる。
昭和40年1月 給食センター 給食を開始する。
昭和47年4月 広津小学校児童受け入れを行う。
昭和48年6月 米飯給食始まる。
昭和56年7月 新プールが完成する。
昭和58年6月 池田小学校沿革史が出版される。
平成元年 4月 現在の校舎での授業が始まる。
平成 2年3月 新体育館完成。
平成8年10月 パソコン教室開設。
平成25年4月 池田松川給食センターが松川中学校に移転。
校歌を作ろうと言う話は、数年前より父母の間にあったが、作ることに踏み切れずにいた。ところが、当町出身の浅原六朗先生の童謡碑(てるてる坊主)建設の話が進むに及んで、再び校歌制定の話が盛り上がり、PTA評議員会を開いて協議したところ、全員の賛成を得ることができた。
作詞については浅原六朗先生に依頼することがもっともよいとのことで、早速先生にお願いしたところ、快くお引き受け頂き、作曲についても浅原先生が親しくしておられた別宮貞雄先生にお願いすることができた。
校歌発表について、学校日誌には次のように記されている。
昭和39年2月24日 職員会で協議 校歌発表について
2月28日 全校校歌練習
3月 2日 校歌発表会の打ち合わせ
3月14日 全校校歌練習
3月16日 全校校歌練習
3月18日 校歌発表会 2時より
歌手 山浦先生 ピアノ伴奏者 岩附先生